風が吹いてきた 第1回

はじめて伊豆高原に来たのは大学院時代。当時付き合っていた彼女と初めてのお泊りデートだったような気がします。「気がする」というのは、もう25年以上も前のことで、そもそも記憶に残さないタイプの私が細かいことを覚えているわけがありません(と開き直ってみました)。

覚えているのはボートとロープウェイに乗ったこと。おそらく一碧湖と大室山だったのでしょうが、先日久しぶりにロープウェイに乗って大室山に登ったとき「こんな素晴らしい景色は見たこともない」なんて思ったので、やはり記憶は定かではありません。

はっきりと覚えているのは、帰路で徐々に彼女が不機嫌になっていったこと。どこかに出かけたとき、楽しければ楽しいほど帰り道で不機嫌になるところがある子で、伊豆高原の帰りは機嫌を直してもらうのに大変だったことはしっかりと記憶に刻まれています。

そんな伊豆高原に戻ってきたのは、素泊まり宿で雇われ支配人をしていた友人の手伝いを始めるようになってから。1人で切り盛りしているのを見かねて、繁忙期限定で宿直や清掃のお手伝いをしていましたが、いつの間にか伊豆高原がもうひとつの拠点となりました。

特別自然が好きというわけではく、城ヶ崎海岸の断崖絶壁を見ると感嘆することはあっても、その素晴らしさに心を打たれて、全世界に広めようなんてことは1ミリも思ったことはありません。私にとって一碧湖もただのランニングコースでしかありません。

では、興味がないのかというとそうでもなく、むしろ居心地がいい場所。北海道のような豪華な海の幸があるわけでもなく、沖縄のように温暖な気候というわけでもありません。ただ、混じりけのない気持ちのいい風が吹いています。

ときにはすべての建物ごと吹き飛ばそうかというような強風になり、宿の玄関を掃き掃除した5分後には枯れ葉が積もってしまうようなこともあります。でも、ここにいればそれさえも心地よく、まっさらな気持ちで過ごせることに気づきました。

伊豆高原に何があるの?そう聞かれたときに、いつも決まって「何もない」と返します。それを残念に感じる人もいますが、ときどき「何もない」を求めている人に出会うことがあります。欲しいものが何でも手に入る都会の生活は快適ですが、そこには空白がありません。

ほんの小さな空白ですら奪うように埋めていくのが都会。ビジネスで成功者になることが正解で、お金を持っていることが正義。それはひとつの価値観ではあるものの、私たち人間にとってのすべてではありません。六本木ヒルズの最上階で暮らしていても、都会で伊豆高原の風を感じることはできません。

残念ながら今の私は東京での仕事も手掛けていることもあり、伊豆高原で暮らせる状況にありませんが、伊豆高原や伊東に関する情報発信をするための取材として、毎月1回は伊豆高原で過ごす予定となっています。少し前まで伊豆高原を拠点にしていましたが、また違った視点でここを見ることになります。

暮らしていたときには近すぎて見えなかったこと、離れたからわかることがあります(まだ離れてから20日しか経過していませんが)。そんな環境で感じたことを、このコラムで毎週書き続けていこうかと思います。少なくとも「もう書くことがない」となるまでは。

どんな方がこのコラムを目にしてくれるのかはわかりませんが、このコラムをきっかけにして、伊豆高原に遊びに行く人が1人でも増えてくれることを期待しています。そして「何もしないけど風を感じに伊豆高原へ」が広まってくれることを願っています。

フリーライター:重松貴志

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